~森に想う~

 

サケは森の川に生まれ森の川に帰る。森の緑を受けて生まれ育ち、海の緑で大きく育まれ、そして故郷の川に帰ってくる。サケは、一つにつながった森と川と海の住人。
「木に縁りて魚を求む」(孟子)のも、森が傷つけば、サケは生きてはいけないからだ。 森も豊かならば川も海も豊かで、生きもの全ての共生が図られよう。

 人口増加がイースター島から森を消したとき、巨大なモアイの像を残して、その地 から人間も文明も消えた。メソポタミア文明から始まって、インダス、エジプト、黄河 などの古代文明も、森を伐りつくして滅んだ。豊かな森を切り開いて栄えた文明も、結 局は森に復讐されて消えた。そして、ギリシャ・ローマ・ヨーロッパからアメリカへと、文明は一つ一つの森を確実に消しつつ、新たな森を求めて進行した。

 人間は生きとし生けるものの命の基、母なる存在の際限りなく削っていく。しかし、古代ゲルマンの人にとって、森は不気味で恐ろしいところ、畏怖すべき天狗の住みかであった。その恵みの価値を知っていた彼らにとって、そこは神の降下してくるところ、人の語るべき神社であった。歩くに疲れた旅人は木陰に休んで元気を回復し、嬉しいときも悲しいときも森へ行ってはそこの精に触れて癒された。

 木は大きいこと、たくさんあることをもって良しとする。森は木が多く繁るの意。 水があれば森があり、森があれば水がある。森の色の緑は砂漠の民のとっては聖なる色。 古代、緑色から青色までの広い範囲の色であったのは、森と水が不可分の関係にあったからだ。黒くてつやつやとしている髪を「緑の黒髪」と言ったのも、緑の持つ生命力に例えたからだろう。羅は「つらなる」の意から、森羅は森がつらなること、万象は「様々の形、あらゆる事物」を意とする。つまり、森羅万象とは「宇宙にあるいっさいのもの」、そう、それは森から始まったのだ。

井上勝六